『みかい』<安住院便り>

・平成25年8月1日発行(第31号)
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・平成25年1月1日発行(第30号)
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・平成24年8月1日発行(第29号)
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・平成23年1月1日発行(第26号)
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・平成19年8月1日発行(第19号)
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・平成19年1月1日発行(第18号)
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・平成18年8月1日発行(第17号)
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・平成18年1月1日発行(第16号)
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・平成17年8月1日発行(第15号)
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・平成17年1月1日発行(第14号)
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・平成16年8月1日発行(第13号)
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・平成16年1月1日発行(第12号)
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・平成15年8月1日発行(第11号)
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・平成15年1月1日発行(第10号)
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・平成14年8月1日発行(第9号)
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・平成14年1月1日発行(第8号)
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・平成13年8月1日発行(第7号)
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・平成13年1月1日発行(第6号)
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・平成12年8月1日発行(第5号)
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・平成12年1月1日発行(第4号)
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・平成11年8月1日発行(第3号)
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・平成11年1月1日発行(第2号)
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・平成10年8月1日発行(第1号)
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                                                     平成25年8月1日発行(第31号)


灯明(明かり)

 昨年末、岡山市内の有名な古刹、金山寺の本堂が不幸にも全焼してしまいました。詳しい事は不明ですが、灯明(ロウソク)の火が原因とも言われています。寺院の諸堂の中では、今でも明かりとして、ロウソクが使用されている所が多くあります。また、護摩祈祷等で、堂内で火を扱う場合もあります。その上、木造作りの建物が多く、文化財のため改造し難いものもあり、火災には日頃より、十分注意しています。
 ロウソクなどの明かりですが、ただ見やすくするための光としての意味だけでなく、仏教的には、仏様の素晴らしいお智恵を表し、水や花や香と共に、仏様への重要なお供え物の一つです。私たちが迷いの暗闇の中で困っている時、仏の道を指し示してくれる、温かい仏様の智恵が、あのロウソクの明かりなのです。昼間、外での太陽の輝きとは違った、本堂内の荘厳な明るさがあるのです。
 しかし、時代の流れ、光も、ロウソクから電球に、そして今ではLEDが、主流になっています。省エネルギーだけでなく、安全性の観点からも、LED照明は普及してきています。
 そこで、当安住院の本堂内の明かりも、出来るだけLEDを使った、電気照明に変更してきました。先程申し上げたように、ただ見やすくするためでけではなく、仏様への御供え、仏様のお智恵でありますので、その点を十分考えた上で、安全対策として導入していくつもりであります。 
 日本の仏教寺院のお堂は、昼でも薄暗い中で、仏様が静かに佇むという印象です。キリスト教などの教会のステンドグラスに照らされた極彩色の空間とは違います。仏教では、みんな一緒に集まっても、個人個人を大切にして、静かに仏様との御縁を結ぶ意識が強いからだと考えます。仏様は全ての人に対して、その方だけのために説法されているのです。みんなに安らぎを与えることは、どの宗教でも同じですが、仏教では仏様との距離感が大切なのです。
 本堂の中の、明かりに照らされた仏様と、是非素晴らしい御縁を結んで頂きたいものです。

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                                                     平成25年1月1日発行(第30号)


副住職

 昨年十二月末、現住職の長女が結婚を致しました。盆経などで運転手をしている女性です。その相手方が、当安住院の副住職になる僧侶です。
この後、檀信徒の皆様には何かとお世話になることと存じますが、宜しくお願い申し上げます。紹介は別掲で挙げますが、安住院も、久しぶりに二人の僧侶にて檀務を行うことが出来ます。
 江戸時代には、地方の寺院は、学校であり、役所であり、情報発信の拠点でありました。よって、様々な人が集まり、僧侶も沢山住んでおりました。また一般の人が勉強の出来る数少ない場所でもありましたので、僧侶になりたい人も多くいました。その中から住職として寺を護る人が出ていました。 
 しかし、現代は政治経済の状況が大きく変化して、後継者育成に苦慮しておられる寺院も多くあります。少子化の影響だけで無く、一般業種と同じ悩みを抱えているのです。
 そのような社会情勢の中、安住院に新しい副住職を迎えることが出来たことは、当院御本尊千手観音様の御加護と信じ、御縁の大切さを感じております。
 副住職といっても、仕事の内容は何も変わりません。住職は寺の代表役員としての責任はありますが、檀信徒の皆様への接し方は同じと考えて頂ければ幸いです。
 組織でのトップとナンバー2と関係は、役割分担をしたり、トップを補佐するのが副の仕事ですが、寺院の中で法務について、僧侶としての仕事は同じことをします、また同じ事が出来る資質も当然備わっています。慣れや経験の問題もありますが、それは大きなことでは有りません。経験することの大切さもありますが、若さ故の創造性も重要です。寺院という組織は、中々変化をすることは出来難いものですが、これからの世界の流れの中、仏教の役割が問われている状況でもあり、今後の新しい風に期待して下さればと考えます。

 これからも、この瓶井の谷に佇む古刹・安住院の護持が出来るよう、次の代に引き継いでいけるよう、皆様の温かいご協力を宜しくお願い申し上げます。    合掌

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                                                      平成24年8月1日発行(第29号)


住職

 どのお寺にも、住職がいます。辞書によると、住職とは「住持職」の略で一寺院を管掌する僧侶のこと、とあります。現在は、宗教法人法により、代表役員として届け出ているのが、住職です。
 本堂に安置されている御本尊を御守りするのが大切な役割ですが、それと同時に、檀信徒の方々の檀務を行っていることは、ご存知の通りです。
 昔は、七堂伽藍といって、様々な堂宇が揃っているのが寺院でした。安住院のように仁王門から塔まで残っている寺院は、地方では珍しいかも知れませんが、それが古刹と云われる由縁なのです。
 安住院は、天平勝宝年間(七四九)、報恩大師の創建とされる備前四十八ヶ寺の一つで、現住職で、数えて九十五代目となります。先般、九十三代・九十四代の先師忌法会を行いましたが、連綿とつながっている、安住院の住職の系譜があるのです。
 今まで、九十五人の住職が約一二六〇年間、安住院を護ってきました。一人平均約十三年ですが、決して一人では何も出来ません。回りにいる多くの僧侶や檀信徒の協力があって、成り立つものです。長い歴史の間の栄枯盛衰は、寺院でも同じであり、明治以降でも、廃仏毀釈、世界大戦、農地改革と、寺院の運営を困窮させる出来事が続きました。そのたびに、檀信徒の皆様と力を合わせて難局を乗り越えてきました。
 住職は、その安住院のタスキを掛けているに過ぎません。転ばないように、正しく次の方へ渡せるよう、心がけています。
 正月初観音法会より始まり、様々な仏教儀式を修することは、当然のことではありますが、境内整備を含め、伽藍の維持も大事な任務です。瓶井の谷に佇む、由緒ある安住院を、現状のままで、次の世代に受け継いでいくことの重要性を、是非ご理解下さるよう願い致します。
 そして、この安住院の歴史と、檀信徒の方々の思いを考えながら、次へ継承していくことが出来るよう努力いたします。

 次回には、新しい世代の僧侶を紹介しますので、ご期待下さい。 

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                                                      平成24年1月1日発行(第28号)


バリアフリー                                                      

日本も高齢化が進み、「足が悪くて、お寺にお詣りが難しいですね。」との声をよく聴きます。本当に昔の建物は階段や段差が多く、体の不自由な方には苦労する場所であります。
 そこで、安住院本堂の奥にスロープを設け、段差を気にすることなく、御本尊にお参りが出来るように整備を行いました。同時に本堂前の境内も全て舗装して、自動車での出入りも可能にして、車椅子でも介助の方の協力があれば本堂内まで、進めますので、お越しの節は、その旨をご連絡下さい。
 本堂は、岡山県指定重要文化財なので、改造には限界がありますが、何とか構想通りに成りました。
以前、視覚障がいのある方の講演での、昔は風呂場で洗髪の時、シャンプーとリンスの違いが分からなくて困った、とのお話を思い出しました。今では、突起の表示が有るだけでなく、形なども変わってきていますが、そういえば、そのような事は、世の中に多いのではと思います。健常な方には関係の無いことでも、障がいのある方にはとても不便なこと、それを直すことで全ての人が使うことが出来るのが、バリアフリーであると教えられました。別に特別なことを考えるのではなく、皆のことを考えることが必要なのです。
 本堂のスロープも、歩くのが不自由な方だけでなく、皆が歩くことが出来る。その発想が大切なのです。まだまだ、十分ではありませんが、何がバリアフリーなのか、更に考えていくつもりです。重要文化財の保持も大切、資金面での検討も重要、その上で皆様がお参り出来る環境整備を、行いたいものです。
 住職は、本堂内で仏に成る道を修行をし、出てからは、仏の教えを檀信徒のために実践しなければ成らないと、師匠より教わりました。まだまだ至りませんが、皆様のご協力のもと、一歩一歩進んでいければと考えます。

堀田忠彦氏、本堂幕寄進                                                           

当院、国富新畠の総代世話人として長年尽力下さっている、堀田忠彦氏が、本堂外縁に引く横幕を新しく製作寄進して下さいました。
 初観音などの法会で本堂外縁を荘厳している、安住院紋付きのもので、三十年以上経過して古くなり、新しいものとの要望で、本堂境内整備も進みましたので、新調して頂きました。
本年初観音法会より、早速新しい幕になりますので、どうぞ新鮮な気持ちでお参り下さい。
 また、真言宗岡山市内結衆での青葉祭り(弘法大師誕生会)も六月十五日に当院にて開催いたします。
 今後とも、檀那寺安住院護持の気持ちをお寄せ頂きますよう、感謝とともにご案内させていただきます。

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                                    平成23年8月1日発行(第27号)


東日本大震災                                                          

 平成二十三年三月十一日午後二時四十六分、宮城県沖を震源とするマグニチュード9・0日本観測史上最大の地震が発生し、それに伴う大津波が襲い、東北太平洋沿岸を中心に壊滅的な被害をもたらしました。
更に東京電力福島発電所の原子炉事故により、放射能拡散という異常事態になりました。人災天災を含め、災害修復の時期も未定な中、数多くの犠牲になられた方々の苦労が続いております。
 被災により亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると同時に、一日も早い復興を祈念するばかりです。
 平成七年一月十七日の阪神淡路大震災の時より、更に重大な事態であることは、誰にでも理解出来ますが、一人一人何を成すべきか、判断が出来ないでいることも事実であります。 
 今回の震災で、大自然の前では人間の存在が如何に小さいものであるかを感じるとともに、家族を中心とした愛情や幸せについて、改めて考えられた方も多いと聞いています。 
この春、安住院の中庭の池に、オシドリと思われるような水鳥のつがいが、毎日のように羽を休めに来ていました。池を泳いだり、岩の上に寄り添っていたり、本当に微笑ましい光景です。これからも仲睦まじく、子育てもして欲しいとの願いで、眺めていました。
 仏様の中でも観音様は、特に慈悲の功徳を説いておられます。他の多くの人達に愛情を注ぎ慈しむ、優しさに満ちた心(慈)です。他人の悲しみを自分の悲しみとして受けとめることの出来る、思いやりの心(悲)であります。
 言葉では簡単ですが、中々実行できない事です。家族だけでなく全ての方々に慈悲の心を向ける努力をしなければなりません。観音様のようには出来ませんが、小さな事からすこしずつが重要であります。
遠くにいても、被災に遭われた方々のことを常日頃より思い、祈ってあげることの出来る心を持ち続けることが大切なのです。そのような気持ちでいれば、目の前の募金箱にも自然と眼が向き、何かしらの援助が出来るのではないでしょうか。
 観音様に感謝し、慈悲の心を忘れないよう、これからも宜しくお願い致します。

多宝塔散華色紙                                                            

 昨年の当院多宝塔の落慶に際しましては、ご協力誠に有り難うございました。重ねて御礼申し上げます。
 修復完成以来、操山周辺より眺める多宝塔を、再認識して頂けたものと思います。
 落慶記念に、多宝塔の四季の様子などを描いた、散華五枚をセットした色紙を作成致しました。
 多少残部がありますので、一般に頒布しております。御入り用の方は、当院までご連絡下されば幸いです。

岡山市仏教会会長                                                            

 岡山市内には、真言宗だけでなく仏教系の寺院が数多くあります。市政区域が広がりましたので、全てではありませんが、約百ヶ寺の参加している岡山市佛教会があります。
花祭り・岡山空襲の平和法要・灯籠流しと、宗派を越えて協力し活動しています。
 当年から二年間、担当宗派が真言宗となり、その会長職に、私儀安住院住職が当たることになりました。
 馴れない役職ではありますが、檀信徒の皆様のご協力も、宜しくお願い申し上げます。

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                                平成23年1月1日発行(第26号)

多宝塔修復落慶                                                           

 

 平成二十二年十二月四日(土)、日本三大名園である後楽園「鶴鳴館」に於いて、安住院多宝塔修復落慶記念式典が開催されました。
 何度か述べていますが、安住院の多宝塔は、元禄七年(一六九四)岡山藩主池田綱政公に再建を願いでて、現在の場所、操山中腹に、岡山市内の様々な方に御寄進を頂いて着工し、次の藩主継政公の代、寛延四年(一七五一)に完成したものです。
後楽園、特に「延養亭」からの眺めが素晴らしく、借景・遠景として永く親しまれてきました。
 その多宝塔を二百五十年で初めてとなる、上層部までの解体修理を行うことが出来ましたのも、安住院檀信徒を初め、数多くの皆様のご助力によるものであります。本当に有り難うございました。
この修復の時に、安住院住職として、事業にたずさわることが出来た歓びを深く感じ、後楽園より塔を眺める瞬間、万感胸に迫る思いでありました。
 仏教では、荘厳(しょうごん)といって、道場を仏様の国のように飾り綺麗にし、僧侶の読経と共に供養を行います。
決して金銭を掛けて飾り立てることではありませんが、仏様の浄土を思い、仏様の説法が聞きたいと願う気持ちがあれば、自然と美しい場所が生まれるはずです。
 今回の修復落慶記念の式典も、多宝塔も含め後楽園全体を荘厳し、琴の音色、お茶の香り、僧侶の声明と呼ばれる仏讃歌の響きなど、全てが私たちの五感を刺激して、心に癒しを与える空間であったものと信じております。更に、後楽園「延養亭」の前庭よりの眺望の素晴らしさも格別でした。
 今後も、多宝塔を含め、安住院のもつ歴史・文化を守っていかなければならないと考えております。
 この度は、数多くの皆様のご協力、本当に有り難うございました。                                    合掌                                                           
 
後楽園多宝塔修復完成見学会                                          

 昨年十月二・三日、多宝塔修復工事が完成し、御本尊も安置されましたので、一般の皆様のために見学会を開催致しました。
 二日間、途切れることなく参加者があり、説明にも力が入りました。昔はボロボロだった塔が、こんなに綺麗になったのかと驚かれる方も多く、末永く愛されていたことを実感致しました。
 これからも、操山の中腹に佇む多宝塔を見て、岡山の良さを感じて下されば幸いです。そのためにも、皆様とご一緒に、大切に守っていかなければならない文化遺産です。

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平成22年8月1日発行(第25号)


後楽園
                                                     


日本三名園は、水戸の「偕楽園」、金沢の「兼六園」と、岡山の「後楽園」ですが、由来は定かではありませんが、明治中頃以降用いられている、江戸時代の大名庭園であります。
 その中で、岡山の後楽園は、岡山藩主池田綱政公により、元禄十三年(一七〇〇)に完成したものですが、お城の後ということで「後園」と呼ばれていましたが、(先憂後楽)の精神に基づいて造られていることから明治四年(一八七一)に「後楽園」と改められたと言うことです。
 旭川の中州という地理的条件もありますが、岡山市内中心部でありなながら、市街地と少し距離を置くことができる、静かな憩いの場所としての役割も大きいのです。築庭より五十年後、操山の現在の地に借景として安住院多宝塔が建造されましたが、多宝塔側から眺める後楽園も、写真のように二百五十年前よりは様変わりし、ビル群に囲まれてはいますが、その素晴しは変わりません。
 当初は、藩主の居間「延養亭」を中心に、建物から眺望を楽しむ場でありましたが、後に池より水路を巡らし、庭を巡り歩き楽しむ回遊性の要素も加わってきました。藩主の好みや時代状況により景観を変化させてはきましたが、操山とその中腹に佇む多宝塔の存在は変わってはいません。代々の藩主も延養亭より、四季折々の眺めのなかで、多宝塔の点景も楽しまれていたことでしょう。
 庭園というのは、人工的な自然美であります。特に日本庭園は、華やかな色の花々や幾何学的な造形ではなく、日本という風景を、日本人の心を表現しているものです。山川草木、全てを大事に思ながら、目の前にその自然を創り出し、心の安らぎを得ようとしているのです。
 真言宗では、それを曼荼羅世界と呼びます。目耳鼻など人間の感覚で感じるもの全てが、仏様であると信じることなのです。沢山の仏様を思いながら、自分もその曼荼羅の中に存在するのだという思いが、大切なのです。
 今度、後楽園に入られたら是非、様々な場所を散策しながら、庭園のもつ素晴らしさを感じて下さい。そして、操山中腹の多宝塔も、再確認して下されば幸いです。 
多宝塔修復工事完成                                                  

 この七月末で、約五年に亘る安住院多宝塔修復工事も無事に完成致しました。御本尊をお戻ししたり、周辺整備が少し残ってはおりますが、化粧直しされた素晴らしい雄姿は、二百五十年の時を越えて操山に佇んでいます。亀腹の白さも格別です。「きれいになったね」との言葉を聞くこと、嬉しく思います。この先も是非末永く、岡山の各所より一望できる塔であることを願っております。
 数多くの皆様に支えられての修復工事であります。改めて各位には、感謝の気持ちを示したいと存じます。
 十月初旬に、完成後の多宝塔見学会を、昨年通り開催する予定になっております。
 この五年間、多宝塔の構造や歴史だけではなく、操山についても、数多くのことを学ぶことが出来、充実した期間でした。
 更に、今年十二月四日(土)には、後楽園鶴鳴館を会場として、修復工事完成記念の催しを企画しております。準備出来次第、ご案内申し上げますので、是非皆様、ご一緒に完成を祝して下されば幸いに存じます。

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平成22年1月1日発行(第24号)

里山(さとやま)の思い
 操山の中、安住院の隣の沢田地区に、操山公園里山センターが開かれて十年になります。皆様の中にも何度か訪れ、また操山の散策をなされた方も多いかと存じます。ハイキングコースもあり、山歩きを成される方には、岡山市内から近い距離で、様々な樹木や野鳥などに触れられる最適の場所ではないでしょうか。
 里山というの名称は、比較的新しいそうですが、人間と自然が共存出来る場所として、最近特に感心が集まっています。環境問題だけでなく、人間が生きていく上で、欠かせないものであるとの指摘もあります。
 原始以来人間に触れられてない原生林などの自然遺産とは異なり、私達と深く関わってきた身近な生活空間として、歴史や文化なども兼ね備えた場所が、里山と呼ばれるものです。そして、その里山を守るためには、様々な形での努力も必要であるとの考えが一般的です。何もしないことが、自然を守ることではないのです。
 里山と呼ばれる森林は、木々を伐採し、住宅地などにしてしまうと、土砂災害などを引き起こします。しかし逆に何もしないで放置してしまうと、竹林や雑木林が茂ってしまい日光も届かなくなり、他の動植物が生存出来なくなります。ある程度の間隔をもった樹木の成長と、他の生物との共生が必要なのです。昔は、燃料や家畜の餌などとして人間が深く関わってきた里山も、現在は意識をもって取り組まないと、里山自体の存在を失ってしまうのです。更にそれらの中心として、神社仏閣の果たしてきた役割も大きいのです。
 安住院を含む操山も、その里山の一つであります。それは、江戸時代から守られていたのです。当院に残る岡山藩からの禁制札には、樹木の伐採や家畜の放牧に対して許可無く行わない旨が記されています。その時代から、操山の保全に対する意識が備わっていたのです。現在、風致地区には指定されていますが、更に踏み込んだ適正な森林の在り方、里山の残し方について議論が必要なのです。皆さんが気持ちよく散策出来る操山、その中に佇む多宝塔も一つの位置づけになるはずです。
多宝塔 屋根葺替
 昨年の春には、屋根の葺替え工事を見学していただきましたが、その工事もほぼ完了し、新しい甍が眼にまぶしく映ります。その屋根を見上げて、多宝塔の構造の素晴らしさを実感しています。
   多宝塔修復工事も最終段階に入り、仮屋根の外れる日も近いのでは思っています。皆様と一緒に眺めることが出来ることを待ち望みながら、
多宝塔を中心とした、瓶井山安住院の境内整備をする予定です。そして、ご尽力頂いた皆様に対して感謝の気持ちでいっぱいですが、より一層のご理解ご協力をお願い致します。


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平成21年8月1日発行(第23号)

操山の古墳
古墳とは、古代の権力者やその親族の墓であり、石棺の上を丘のように土で覆っているものを言います。一般的に四世紀〜七世紀に造られたもので、年代により形状も異なり、数多くのものが全国で知られています。
 岡山では吉備の国と言われた頃、多くの古墳が造られ、有名なものもあります。
 この操山の山中にも大小合わせて百基以上の古墳が確認されており、操山古墳群と名付けられています。百間川遺跡などと共に古代より重要な地方であったのです。
 操山周辺は、現在の地図とは異なり、操山の西側麓を旭川が流れ、山の南側は海であり、網浜や湊という地名がその様子を示しています。現地図の状態は、江戸時代の治水事業や新田開発により生み出されたものです。
 その操山古墳群の中の一つが、現在修復中の安住院多宝塔の東方近くにあります。ここ数十年で雑木が茂り、見え難くなってしまいましたが、昔遊んだ経験を持つ方も多いはずです。
 この安住院塔の下古墳は石室もしっかりして、南東に向けて開口しており、かなり大きな円墳墓であったと思われます。その丘の一部を削り平らにして、現在の多宝塔を建立したものと推測されます。
 操山瓶井の谷に、安住院を中心とした伽藍が創建されたのが八世紀末ですから、その頃には古墳もその姿を保っていたことでしょう。それから約千年の後に後楽園の築庭に合わせて、多宝塔建立の基が、その古墳の地に築かれたのです。現在一般の方が、墓地に供養墓として、五輪塔を立てる意味合いと、同じような考えもあったのかも知れません。
 推測だけで何も文献は残ってませんが、多宝塔が立っている、この操山の古代の風景を想像するのことは、とても面白い気がします。
 太古より、日本人の心の奥底に、先祖供養と墓への崇拝心は、ずっと培われてきているものと確信しています。そこに新しい仏教が伝来し、日本人の気持ちを表現する手段として、仏教が受け入れられたのです。
 日本古代の歴史を思い、この操山の昔を考えることは、景観の維持と言うだけでなく、様々な文化を継承することにも、つながるのではないでしょうか。
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平成21年1月1日発行(第22号)

会陽(えよう)
 皆様、二月の春を迎える風物詩として、岡山西大寺観音院の会陽(裸祭り)は、全国的に有名です。またこの時期、岡山県を中心に各地で、真木(しんぎ)を奪い合う裸祭りの行事が行われ、大人から子供もまで数多くの参加者で、にぎわう様子が紹介されています。
 本来、お正月からの数週間の御祈祷の行事を締めくくるものとして、御祈祷のお札を渡していたものが、奪い合いとなったので、怪我をしないように、裸になったと言われています。今は、旧正月頃ということで、二月中が多いようです。
 岡山は、本当にこの会陽の行事の記録が多く残っている地方で、当安住院でも、明治始めまで行われてました。中止になったのは、やはり廃仏毀釈の影響が大きかったようです。この絵のような御祈祷の護符、牛玉宝印のお札が現存しています。その他、数々の会陽の資料も残っています。明治半ばの新聞には、その会陽を復活させようとの記事も掲載されていました。
 安住院で行われている、初観音法会は、内容は変わってきていますが、会陽の中心となる正月行事として、護持されてきたものです。檀信徒皆様方の今年一年の招福をご祈念する法会ですので、基本的な考えは変わっていません。
 江戸時代には、この瓶井の谷にも多くの裸の群れがあふれ、にぎわっていたことを想像すると、何か楽しくなってきます。年に一度、静寂な操山が、あの熱気に包まれていたのです。現在の本堂は一八〇〇年頃、少し南の地から移築されましたが、その理由の一つが裸祭りのためでした。多くの人達が一ヶ所に集まる場所が、必要だったのです。白門と呼ばれる竜宮門形式の鐘楼門、本堂の向かいの観音石像下の垢離(こり)取り場を始め、本堂内の真木投下用の御福窓などの多くが、現在も残されている理由も理解できることでしょう。
 その裸祭りの情景を、多宝塔から眺めることも出来たでしょうし、逆に多宝塔を背にして祭りに参加する群衆の多くも、塔の存在を充分認識していたものと思います。仁王門、本堂、多宝塔と続く伽藍すべてが、瓶井山禅光寺の境内なのです。その環境をより良い形で伝えていけるよう、願っております。
多宝塔・御本尊修理
 現在、修復工事中の多宝塔の御本尊三体の仏像修理が、一足先に完成しました。御本尊については、「みかい」十九号での解説で、再度確認下されば幸いです。
 製作時期は塔と同じで、約二五〇年前と考えられますが、重要文化財の指定は有りません。よって、今回の多宝塔修復事業とは別に、当院にて修理致しました。
 綺麗に化粧直しされた素晴らしい御本尊です。多宝塔の落慶の時には、一緒に公開を致します。仏像修理の御施主も歓迎いたしますので、ご一報下さい。

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平成20年8月1日発行(第21号)

宝 珠(ほうしゅ)
 真言宗では、宝珠即ち如意宝珠は最も重要な物の一つで、思うがままに様々な宝物を生み出す秘物です。形は、社寺や欄干などの「擬宝珠(ぎぼし)」としてよく見られる、球状で上部が少し尖った、雨粒のような形です。 如意輪観音・地蔵菩薩・虚空蔵菩薩など多くの仏様も、掌に宝珠を持たれています。
 そして、多宝塔や五重塔などの仏塔の先端に置かれているのも、この宝珠です。特に多宝塔には火炎に包まれた宝珠があるのが一般的です。
元々は、お釈迦様の仏舎利であるとか、龍の持ち物であるとか、様々な説がありますが、真言宗の宗祖弘法大師さまも、とても大事にしておられたことが、いろいろな書物で明らかになっています。
 本当に意の如く宝物を出すことが可能な珠なのです。でも決してお金や食べ物などの贅沢をするための物質を出してくれることではないことは、皆さんも容易に理解できると思います。
 特に、多宝塔の頂上の火炎宝珠は、燃え盛る炎により、光を放ち温かさを与え、正に今この世界全てに宝珠の功徳が広がる勢いを象徴し、みんなの願いを惜しみなく叶えてくれることを意味します。
 繰り返しますが、宝珠により宝くじが当たったり、お金が空から降ってきたりはしません。家族の幸福を願う心、みんなが生きていく喜びを願う心、そのような願いが叶って、始めて物質的な豊かさも意味のあるものに成って来るのです。順序が逆なのです。お金だけに執着する人は、いくら貯まっても満足出来ないはずです。
 皆様の願いは様々でしょうが、世界中の人だけでなく、生き物全てが幸福に生きていくことが最大の願いではないでしょうか。本当はみんな、そのことを願いたいはずです。ですから、何処からでも拝めるように、塔の先端に宝珠があるのです。
 そのような塔を、お大師さまより受け継いで、昔の方々が各地に建立されたのです。宝珠に願うと云うことは、仏様に願うと云うことです。よって、宝珠も塔もみな仏様と云うことになります。
 是非、修復後の多宝塔を想い、願う心を大事に持っておいて下さい。

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平成20年1月1日発行(第20号)

操山の景観
 今修復工事中の安住院多宝塔は、昔から「後楽園の借景」とか、「見かえりの塔」とか呼ばれ親しまれてきたことはご存知の通りです。
 「後楽園の借景」は、創建当時の岡山藩主池田公の望みでもありましたが、自然と人工とを融合させた名庭園の背景の山並みに、仏塔という宗教的建造物を収めようとした価値観は、素晴らしい発想なのです。
 また、「見かえりの塔」の根拠は定かではありませんが、何処からでも眺めることができ、もう一度振り返ってでも見てみたい、そのような優美な塔であるという表現なのです。
 どちらにしても、仏塔としての本来の宗教的な信仰の対象だけでなく、操山の山麓にたたずむ景観としての要素が、岡山に住んでいる或いは岡山を訪れる皆さんの心の中に溶け込み、その素晴らしさを観じてもらっていると信じています。
 岡山に縁のある文豪の内田百閧竅A与謝野鉄幹の文章や詩の中にも、操山の多宝塔を親しむものがあります。
 現在、日本各地で自然保護だけでなく景観について様々な論議がなされ、その条例等も制定されている自治体も多いと聞きます。自然との調和や昔からの風景・町並みをどう維持するか、主観的要素も多くあり、方向性は難しいかも知れませんが、数多くの方が安らぎを観じられる空間であることを願っています。
 自然と建造物との融和で言うならば、村の鎮守や寺院・神社の果たしてきた役割は重要なのです。建物自体が山や森などを信仰する観点で建造されていますので、調和無しでは存在の意味がなくなってしまうのです。岡山市内の景観についての代表的な位置づけとして、操山の多宝塔も考えるべきなのです。
 二百五十年前の岡山の町が、どのような情景であったかは分かりませんが、塔が創建された後の二百五十年で操山の多宝塔の存在は、岡山に十分位置づけられてきたと考えます。その景観を次の二百五十年にどう受け継いでいくか、是非皆様といっしょに考えていければと願っております。多宝塔の修復工事は平成二十二年まで続きますが、仮屋根が解かれた新しい多宝塔の姿を、是非想像し、考えていただければ幸いに存じます。
多宝塔鎮壇具発掘
  現在、修復工事中の多宝塔の基礎の地面下部分から、塔の鎮壇遺構が発見され発掘調査を行いました。 
 二百五十年前の創建時になされたもので、ほぼ当時の状態で残されていました。それは、塔という宗教的な建造物を護るための仏具で、真言宗の密教的な儀式が丁寧に行われていたことを物語っています。
 その鎮壇具の内容は、八方の方角を護る青銅製の「輪宝」という法具、中央には五穀・五香等を納めた陶製の瓶、その回りに五色の小石です。全て真言宗の伝統的な地鎮鎮壇様式を厳格に踏襲していることと、状態の良いことに、驚嘆しております。

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平成19年8月1日発行(第19号)

尊勝宝塔・御本尊
 現在修復中の、安住院多宝塔については、前二回の「みかい」で説明しましたが、多宝塔と言うのは通称で、密教では大日如来そのものを示すものですが、当院の塔は「尊勝宝塔」と呼ぶのが正式名称です。それは、創建時の棟札を見ても『奉新造尊勝寳塔一基成就所右者奉為金輪聖皇寳祚長遠矣』と描かれていることからも明かです。
  この尊勝とは、仏の頂、即ち頭脳を仏格化した仏頂尊の中で最高の尊、尊勝仏頂を示します。それはまた大日如来と同じであるとも考えられ、大日如来を中心とした尊勝曼荼羅という尊像があります。その曼荼羅で智証大師円珍上人が中国から持ち帰られたものは、大日如来と、不動・降三世明王の三尊像です。その形を今に伝えて有名なのは、大阪府河内長野市・金剛寺本堂の国宝三尊像です。このような尊形は非常に珍しいのですが、安住院多宝塔の御本尊もこの(大日如来・不動・降三世)三尊像なのです。その理由は不明ですが、貴重な仏様なのです。
 その三尊は塔内では東に向かって座しておられ、その像を拝むには西に向かいます。そしてその視線の先には、岡山城の天守閣を望みます。創建当時は藩主池田継政公ですが、代々の藩主の家運長久を願い、岡山藩の安泰を祈念したのは確かです。その願いの仏尊が尊勝曼荼羅仏であったのです。この尊は京都のある真言宗寺院では、秘法として崇められていたことも事実で、国家安泰の中心となる仏尊でありました。
 その尊を祀った宝塔を建立した二百五十年前の安住院住職は龍豊僧正で、この僧正は岡山に真言密教を弘めるのに尽力された方で、高野山から大徳真源僧正を迎えて真言密教の秘儀である潅頂という儀式を行い、僧侶だけでなく何千人という檀信徒の方にも法縁を伝えておられます。その関係の方々が、塔の創建の為、浄財を寄進してくださったのは、間違いないでしょう。
 その時の龍豊僧正は五十歳を少し越えていました。ちょうど、現在の安住院住職と同年齢です。藩主だけでなく檀信徒住民全ての平和の為、この尊勝宝塔を何としても創建しようとされた僧正の願いを、受け継いでいくことが、安住院住職第九十五代としての使命とも考えます。
 ご協力の程、宜しくお願い申し上げます。
多宝塔修復工事公開
 六月二十六日・二十七日の両日、現在修復中の安住院多宝塔の工事状況の公開が行われ、両日で約千人の見学がありました。
 昨年来より解体作業が進められ、骨組みのみになった塔を皆様に見ていただきたく計画されました。屋根替えは何度か行われていますが、木組みの細部までの解体は創建以来のことで、二五〇年前の材料が確認出来ました。
 当時の建築に携わった人々の苦労が手に取るようで、これほどまで沢山の木材が使用されてることに、驚かれた方も多いことと存じます。
青葉祭り法会厳修
 六月十五日、真言宗岡山市内結衆恒例行事の弘法大師降誕会「青葉祭り」が安住院で開催されました。
 安住院本堂に楠の青葉を飾り、大師稚児尊像を祀り、御詠歌・讃歌などと一体となり、法会が厳修されました。
 その後、岡山市玉柏(上興院)新後雅弘僧正の法話や余興、福引きと続き、千二百三十四年前の大師の御誕生を御祝い致しました。
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平成19年1月1日発行(第18号)

安住院・多宝塔
 多宝塔を含め、仏塔は仏様を象徴的に表した物で、お墓に立つ供養塔などの五輪塔と同じ意味を持ちます。五輪塔は四角・円・三角・半円・宝形の五種類で成り立っていますが、多宝塔も同じ構成なのです。よく二重塔と呼ぶ方がおられますが、多宝塔は決して二階建ての塔ではなく、単層の建物です。その証拠に二階と想われている個所の中には部屋は無く、屋根の木組みが入り組んでいます。下層の屋根は実は庇(ひさし)で、五輪塔が日本に入って来て木造建築となった時に、雨の多い気候に合わせるように軒下を広くしたのです。よって、御本尊が祀られる部分が四角、白く漆喰で固められた亀腹と呼ばれる丸い部分が円、上側の屋根が三角、突きだした相輪の下の部分を半円と考え、先端に宝形の宝珠があります。
 また多宝塔と言う名の由来は、法華経が説かれた場所に、塔と一緒に涌出する多宝仏という名の仏様に依るとされ、本来、釈迦・多宝二仏を祀ったものです。観音経にもその名は説かれています。それが、密教即ち真言宗による五輪塔の解釈により、大日如来を祀るようになったものが多くなり、高野山の根本大塔が代表されるものです。
 岡山県には文化財に指定されている塔は多く、多宝塔も四基あります。その中で大きさでも古さでも二番目なのが、瓶井山・安住院の多宝塔です。一度、県内の塔を調べてみるのも面白いかも知れません。
 瓶井の地には創建当時より伽藍が整備されていましたので、塔もあったことと思われますが室町期の火災により焼失してから建立されることもなく、江戸時代池田家の世になり藩主綱政候に再建を願い出て、次の藩主継政候の時、後楽園築庭に合わせて、寛延四年(一七五一)に今の場所に、今の姿で建立されたのが安住院の多宝塔です。
 現在は高いビルが建ち並び、後楽園からは見え難い多宝塔ですが、建立当時には、後楽園から見る瓶井山の中腹の多宝塔、更に備前富士と呼ばれる芥子山までを遠景とした、素晴らしい四季折々の粧いを堪能出来たことでしょう。是非、その頃に想いを巡らせて、多宝塔を見ていただければと観じております。
みかい霊園「法寿」完成
 平成十五年完成のみかい霊園「法明」「蓮華」に続き、「法寿」地区が新たに完成いたしました。好評により前回の二地区は空きが少なくなりましたので、本堂に近い境内地を整備して霊園として分譲するに至りました。
 お越し頂ければ解りますが、駐車場も整備し、様々な方が気軽にお参り出来るように考慮しています。
 瓶井の谷の景観に相応しい霊園であり、お墓参りだけでなく、様々な歴史に触れることの出来る場所にと考えております。是非、皆様のご協力の程、宜しくお願い致します。


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平成18年8月1日発行(第17号)

塔について
瓶井の山に佇む安住院の多宝塔を、どのようにお感じでしょうか。
 塔はインドで生まれ、ストゥーパと呼ばれ、お釈迦様の骨、即ち仏舎利を奉納安置する建造物でありました。皆様が法事の時に用意される卒塔婆(トーバ)も同じ意味で、先祖供養の供養塔が変形したものです。
 お釈迦様が生きていた時代には、その教えを実際に聞くことが出来ましたが、涅槃に入られてからは、仏舎利を信仰することも仏教の大切な教えとなり、舎利塔も建てられるようになりました。インドから東南アジアに多く見られる仏塔がそれです。
 その舎利塔が中国に入って、装飾が加えられ、多層のものや多角形の石造物なども考えられました。そして日本に仏教が伝わると同時に塔も伝えられ、木造建築を主とした多層の塔になって来たのです。遠くからでも信仰することの出来る対象でもありました。
 真言宗を中心とする密教が盛んになると、舎利を安置する塔ではなく、塔そのものが仏様を表現する考えに発展しました。密教では三昧耶(サンマヤ)形と言うのですが、仏様の持ち物でその仏様を表すことが出来、様々な持ち物が示されています。
 更に真言宗の修行では、両手で仏様の持物の形を示し、口でその仏様の真言を唱え、心で仏様を観じ、仏様と一体に成ろうと努力するのです。
 そんな中、塔で表現されるのが、真言宗の中心の仏様である大日如来なのです。そして、大日如来を示すこの塔は、この宇宙全体を表すことも出来、物質的に構成される、地・水・火・風・空という五つの要素と、識を加えた六要素で宇宙は構成されていると、お大師様はお教えになられています。
 現代の西洋科学の中に生きている私達には、なかなか理解し難いことかもしれません。少し違う説明かもしれませんが、固体・液体・気体と、変化させる熱エネルギー、移動のための運動エネルギーの五つに、それらに影響を及ぼす意識とで、宇宙に存在するの全てが構成されていると考えたのです。
 仏様も、私達も、更に動物も野山の草木まで、根本的に同じ構成要素であるということは、皆が仏に成り得る素質を持っているということなのです。その要素を形で表した物が、仏塔なのです。
善通寺創建一千二百年
 本年は、弘法大師が密教を伝えて還られ、真言宗を興してから千二百年になります。その時に、大師御誕生の地である香川県の善通寺の堂宇を建立されました。よって善通寺も創建一千二百年に当たり、様々な行事がこの春に開催され、住職も善通寺役員として参加しておりました。御本尊の御開帳や五重塔の拝観などもありましたので、檀信徒の皆様と一緒にお参りも致しました。また機会が有りましたら紹介したいと考えております。

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平成18年1月1日発行(第16号)

 皆さん、お寺の境内の建物のことを伽藍(がらん)と言います。「がらんどう」とは、広い場所に何もない静けさの漂ったことですが、これもお寺の伽藍が大きく立派で静寂であることに由来しています。
 もともと僧伽藍が略されたもので、僧侶が集団生活をする場所をさすインドの古い言葉がもとで、「平家物語」で有名な「祇園精舎」の精舎はインドでの僧坊を示すそうです。
 仏教がインドから中国を経て日本に伝わって来る間に、僧坊や伽藍の形体も、その地に相応しい様式に変化して来たのです。日本では飛鳥時代から奈良の都に多くの寺院が創建されましたが、金堂や塔などを対象的に並べる構成が確立され、今の大阪・四天王寺の伽藍に代表されるような寺院建築が盛んになりました。その後、日本での仏教が色々な宗団に分かれるなか、伽藍の様式も変わりました。
 真言宗では、高野山に代表されるように山上に建造されることが多く、敷地の制約により整然と配置することは難しくなりましたが、総門・本堂・塔などを七堂伽藍と言うように、多くの建造物で成り立っています。
また「瓶井山禅光寺安住院」というように、山号・寺号・院号の名称も確立されました。
 何をもって(七堂伽藍)と言うのかは、はっきり決まりはなく、宗団によっても異なります。安住院で見てみると、本堂・多宝塔・仁王門・鐘楼門・客殿(講堂)・蔵(経蔵)・大師堂で七つになります。
 寺院としての形態を保つには、本当は諸堂伽藍が必要で、それぞれ深い仏教の教えがあるのです。お寺も現代風に様変わりしてきていますが、深山に佇む古刹寺院の伽藍では、そこに身を置くだけで、言葉では言い表せない、何か不思議な信仰が芽生えるのも事実ではないでしょうか。これは、仏教に限らず、キリスト教でもあの荘厳な礼拝堂に信仰の源があるのです。
 仏教は、仏様の教えを如何に実践していくか、ということで、それが修行です。でも一般の人が、都会の雑踏の中で修行をすることは大変難しいことです。そこで昔から、静寂な地に寺院を建立し、悟りを開くことを目指して修行が実践されてきたのです。
 「がらんどう」では、もったいない気持ちにもなりますが、山の木々も含めた自然の中での伽藍という構成は、仏教特に真言宗では欠かせないものなのです。

仁海僧正・記念本出版
 醍醐の近く、京都市山科区小野の地の「隨心院」という善通寺派の大本山があります。美女伝説で有名な(小野小町)のゆかりのお寺です。
そのお寺を創建された、仁海僧正の御生誕一〇五〇年を記念して、「仁海」という本が出版されました。学者の頼富本宏教授や作家の井沢元彦氏など多くの先生が、それぞれの分野の視点から執筆され、共著という形での本です。
その本の中で(請雨と仁海僧正)の項目を担当、執筆させていただきました。
仁海僧正は別名「雨の僧正」と言われる程、祈雨の霊験をもっておられた方です。平安時代に何度もその法を示され全て成功されました。
今も昔も水というものは、私達の生活に不可欠なものです。水をもたらす雨を呼ぶことはとても重要なことなのです。
以上の内容だけでなく、小野小町の伝説などもあり、素晴らしい本になっています。
興味をお持ちの方は、是非当院までご連絡下さい。お送りさせていただきます。
また、京都に行かれた時には、隨心院にも参り下さい。
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平成17年8月1日発行(第15号)

真言宗
 昔、お釈迦様が生み出した仏教は、インドから中国を経て日本に伝わりました。その間にいろいろな宗団が出来て、真言宗を始め天台宗・日蓮宗・禅宗・浄土宗・浄土真宗と多くの仏教教団が存在するのです。元はお釈迦様一人ではないかと思われますが、人は仏の世界に入り悟りを開くため様々な修行をしますが、人それぞれ個性があり考え方も異なりますので、悟りの方法も多くの違いが出来てくるのは当然の結果です。そのため数多くの経典が出来、修行の方法により宗派が分かれているのです。その人その人にあった仏教があると言うのが、仏教が画一的ではない、世界みんなのことを考えている宗教なのです。
 弘法大師空海上人が、中国にて大日如来の密教の教えを恵果和尚から全て受け継ぎ、日本に帰り、「真言宗」という名前で広く弘めていこうとされたのです。それが今から丁度、千二百年前のことです。
 しかし真言宗のお寺では、大日如来の他、観音・薬師・釈迦・阿弥陀・地蔵など、様々な仏様を御本尊としてお祀りしております。  真言宗は別名、真言密教と言って、大日如来の教えというものは、真実の言葉ではあるが、秘密に語られます。
その教えそのものに触れることは特別の修行が必要なのです。そこで、代わりに様々な仏様が、大日如来の教えを、専門分野に訳して教えて下さいます。その御縁のある仏様を御本尊としているのです。
 真言宗は師匠から弟子への仏の教えを伝授していきます。いくら勉強が出来て様々な経典を独自で理解出来ても、それを如何に実習していくかは、師より教えてもらわなければなりません。経本の文字の上からだけでは、決して理解出来ない、密教の深い意味が多く存在します。
 また、仏様の前では、姿勢を正し合掌して、口で御真言を唱え、心の中でその仏様の事を思い浮かべ、信心を顕します。その三つ行いが一つになることによって、仏様になれる要素を膨らませることが出来るのです。どなたでも、仏様の心を持っているのです。日常生活では、多くの雑音のため仏の心を呼び起こすことは難しいですが、お寺にお参りした時には是非、思い出して下さい。それが真言宗の第一歩なのです。
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龍王堂の再建
昨年度の台風の猛威は凄まじいもので、全国各地に多大なる被害をもたらしました。今まで余り災害を受けませんでした瓶井の谷も、その第二十三号台風の暴風により当山所有の山林内に倒木があり、植林木・雑木に関係なく多数倒れてしまいました。
またその倒木が瓶井の谷の鎮守、龍王堂を直撃し、修復不可能な状態になってしまいました。
操山の山中に、安住院の山号・瓶井山の由来となった泉を守る龍神様を祀った龍王堂があります。泉は真夏でも枯れることがなく、干ばつの時、その泉で安住院の宝物である《龍の舌》を洗うと必ず雨が降ったという言い伝えがあります。昔から生活特に農業では水というもは一番大切な物で、しかもそれは天からの恵みでありました。
その水を護っているのが龍王堂なのです。昔のことをご存じの方ならお参りに行かれたことがあると思います。その龍王堂が無惨に倒壊してしまったということは、昨年の災害がいかに凄かったかを物語っているのかも知れません。
総代さんと相談して、その龍王堂の再建を発願し、今年中には元の姿にし、お祀りしたいと考えております。
御協力が頂ける檀信徒の方がございましたら、宜しくお願い申し上げます。
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平成17年1月1日発行(第14号)

大師入唐求法千二百年
 前回の号で御案内致しましたように、昨年は弘法大師空海上人が、唐の国、今の中国に渡り、当時の都・長安(現在の西安)の青龍寺に於いて、恵果和尚から、密教という素晴らしい仏教を受け継がれてから千二百年になります。その後、お大師様は日本に帰り、新しく真言宗を開かれたのです。
現在、真言宗と名乗っている寺院の基は、総てこの千二百年前の青龍寺での、お大師様の御受法から始まっているのです。
その青龍寺にて、昨年十月末に真言宗の各本山が主催して記念法会が厳修されました。日中合同にて法会が進み、私も威儀を正して、理趣三昧という真言宗の厳儀に出仕致し、無事成満となりました。
但し、現在の青龍寺は、二十年前、日本と中国のお大師様を想う友好の心により復興されたもので、空海紀念堂として親しまれています。お大師様は、この青龍寺を模して香川県の御誕生の地に善通寺を建立されました。現在の善通寺も、その当時の大伽藍ではありませんが、青龍寺の規模の広大さを伺うことは出来ると思います。
当時、シルクロードの出発点として、世界有数の大都市として、繁栄の頂点の時でした。  お大師様が苦難の末、この長安の都に着き、青龍寺に於いて恵果和尚にお会いした時、どれほどの感動を覚えたことでしょう。更に、最新の仏教である密教を授けて頂き、日本に持ち帰ることに、どれほどの期待を抱いておられたことでしょう。
しかも、その年に恵果和尚は遷化されました。恵果和尚も総てをお大師様に渡すことに最後のお力を注がれたことと思います。偶然では決してない、計り知れない御縁に結ばれたことなのです。歴史に(もしも)はありませんが、お大師様と恵果和尚が会えなかったならば、日本の仏教はどうなっていたか分かりません。
 お大師様自身がお書きになった恵果和尚の碑文に「虚しく往きて実ちて帰る」との、お大師様の心を的確に示した文があります。偉大なお大師様も、恵果和尚という立派な師と、御縁を結ぶことが出来て、素晴らしい実を結ぶことになったのです。
 皆様、御縁を大切にし、人生の良き師に巡り会えますように。
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真言宗友好訪中団
 昨年十月末一週間の日程で、中国の西安と洛陽に参拝致しました。西安は先に述べましたが、洛陽も中国の旧都で、白馬寺という最初の仏教寺院があり、現在でも大伽藍が整備されています。そこでも日中合同法会を行いました。洛陽は春の牡丹が有名で、また近くに龍門大仏があります。この大仏のスケールが壮大で、石窟に大小様々な石仏が彫られています。
どのような仏教信仰で、この仏像を完成させたのか、人間の叡智は素晴らしいものです。奈良東大寺大仏のモデルとも言われ、仏教史的にも凄いものです。
その規模の大きさに、ただただ感激するのみでした。
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平成16年8月1日発行(第13号)

ご真言
 皆様、当山安住院の宗旨はご存じですね。真言宗です。弘法大師空海和尚が中国から持ち帰られた密教を、日本で弘めるため名付けられました。真言を大切にするので、真言宗なのです。
では、真言とは何でしょう。法事で御看経の時、十三仏のご真言として、呪文のような短いお経があります。平仮名で書いていますが、元々はインドの文字、梵字です。読み難いので仮名にしていますが、それぞれの仏様には、それぞれ違ったご真言があります。お不動様でしたら「のうまくさまんだばざらだんかん」舌を噛みそうな言葉ですが、仏様に感謝の意を表するときに、お唱えするのです。実際少し意味は違いますが、呪文のようなものだと考えて下さっても構いません。「南無観世音菩薩」と言う代わりに「おんあろりきゃそわか」とお唱えします。
真言とは仏様の真実の言葉という意味ですが、仏教が生まれたインドの古い言葉をそのまま使って、仏様に帰依するのです。内容は呪文のようなもので解らなくても、何度もお唱えすることで、仏様が本当におっしゃりたい真実の言葉が、心の中に広がって来るのです。仏様の言葉なのだと思うことが大切なのです。
 胸の前で静かに両手を合掌し、心の中で仏様を想い、ご真言を声に出してお唱えする。お唱えしている私達と仏様とが一体となり、仏様がおっしゃりたいことが体中に広がって来るのです。ご真言をお唱えするときはいつでも、仏様を想うことが重要な事なのです。
お経なんて、覚えられないし、意味も分からないし、読めないし、眠くなるようなものだ、と思われている方が多いと思います。
でも、ご真言でしたら短くてお唱えし易く、何度でも繰り返すことが可能です。
瞑想といって、静かに心を静めて精神統一することも大事ですが、なかなか心を無にして、集中することは難しい事です。何か余計な妄想が頭の中を駆けめぐることが、しばしばでしょう。それを煩悩と言います。
そこで、静かに座り、両手を合わせ、口でご真言を繰り返し唱えることで、心の中で仏様を想う気持ちが集中でき、全身一体となって、仏の道を歩むことが可能になるのです。
当院ご本尊千手観音様のご真言は、
「おん ばざら たらま きりく」です。
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弘法大師入唐千二百年
弘法大師・空海上人は、唐(現在の中国)に渡り、恵果和尚から密教の全てをお受けになりました。それは、ちょうど千二百年前になります。当時の唐の都・長安は世界でも有数の文化の中心、有名なシルクロードを通して、とても繁栄していました。そして、お大師さまは最先端の宗教・文化を日本に持ち帰られたのです。今では飛行機で数時間、国内旅行とさほど変わりませんが、千二百年前はどのようなものだったのでしょう。きっと大冒険で、困難が多かったことでしょう。
お大師さまの、日本に新しい仏教を伝えたいという素晴らしい熱意が、今の真言宗の基を築くことになったのです。
そして現在、中国との文化交流も盛んで、お大師さまの足跡を訪ね、日中両国の文化の発展のため様々な活動が行われています。その一環として、千二百年記念行事も数々あり、この秋、お大師様が恵果和尚から密教を授けて頂いた、中国西安の青龍寺にて法要も行われます。本山善通寺から参加致しますので、その報告もご期待下さい。
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平成16年1月1日発行(第12号)

如意輪観音
 新しく建造の安住院みかい霊園永代供養塔の上に観音様の石像が安置されています。
如意輪(にょいりん)観音菩薩です。
数多くの観音様の中で、弘法大師様がとても篤く信仰され、数多くの真言宗寺院の御本尊となっています。一般的には、六本の手を持たれ、首を少し傾げて、思いめぐらす様子で表されています。
如意宝珠と法輪の力によって、一切衆生の苦を除き、願いをかなえてくださる観音様です。
如意宝珠とは、人々の願いを意の如くかなえる不思議な宝です。
法輪により、仏様の智慧をこの世に広め人々を救って下さいます。
右第一手は考える姿で、苦しみ悩む人々を見て、深い同情による救いの気持ちを表します。第二手は如意宝珠を持ち、第三手は数珠を持ち苦しむ人々を救うことを表します。
左第一手は観音さまの聖地に触れ、揺るぎない救いの心を表します。第二手は蓮華のつぼみを持ち、誰もが持っていて開花していない仏の心を示し、第三手は法輪を持ちます。
また、六本の手は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道それぞれの救いに働くことをも意味します。
 観音菩薩に心から祈りを捧げることにより、一切の願い事は成就し、様々な利益がもたらされます。犯した悪い行いは悔い改められ、煩悩に汚れた身は清らかになり、仏様の世界に導かれるのです。
 また、如意という僧侶が使う法具があり、まごの手が変化した物だとも言われていますが、痒いところへ手が届くのです。また、孫悟空が耳から出し大きくして武器として使う、如意棒も同じで、意の通りに成る棒で、お経の中にも出て来ます。
そして、観音様がお持ちの如意宝珠は更にすごい物で、金剛のように堅く、一切を遍く照らす、仏様の徳を全て凝縮しています。
この世の中、意のままに成らないことばかりです。しかし、全ての皆さんが心の中にある如意宝珠、即ち清浄なる菩提心を磨き上げることにより、世界中の人が平和に暮らせるよう願うことが、最も大切な如意ではないでしょうか。是非、観音様の前で手を合わせ、如意を思ってみて下さい。
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永代供養塔
 昨年春に完成した、「安住院みかい霊園」の中に、新たに永代供養塔が建造されました。これは、檀信徒・宗派に限らずどなたでもお骨を納めることの出来る供養墓です。特に、身寄りがなく、亡くなられた後、お墓の守も出来ない方には、永代供養の納骨合祀墓として利用出来ます。
塔中は、骨壺を納める棚と、お骨を直接入れるスペースがあり、ご希望によります。
 設計も十分検討し、耐震や環境にも配慮した、鉄筋コンクリート構造に石張りを施しています。内部の新素材の棚や塗料にて、安らかなる永代の供養を考えています。
白門の前、南向きの如意観音が優しく見守っていて下さいます。
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平成15年8月1日発行(第11号)

懺 悔 文
 皆さん、お看経の初めに懺悔文を読みます。懺悔とは一般的には(ザンゲ)ですが、仏教では(サンゲ)と言います。
「私達が行ってしまう悪い行為は、心の中にある欲望と怒りと無智により引き起こされ、悪い言葉や動作や気持ちに現れるのです。 今ここで全てを懺悔しましょう。」
という意味なのです。昔、(反省だけなら猿でも出来る)と、猿に失礼な言葉が流行りましたが、反省するということは、どう言うことなのか、その態度が重要なのです。
 人間この世で生きている中で、悪いことを犯してしまいます。法律に触れなくても、また知らず知らずに、他人を傷つけているということも多いはずです。感情的になり、つい余計なことを言ったり、ムシャクシャしている気持ちを身近な物にぶつけてしまう。
ですから、お経をお唱えする前には、心を静め手を合わせ、それらの行いを反省することから始めるのです。そうでないと、決して仏様の大切な教えを受け入れられる訳がないのです。毎日お看経をお唱えする場合でも、まず反省し心を清らかにする。その心が非常に重要なのです。
最近、キレルという言葉をよく耳にします。特に子供がキレテとんでもない事をしてしまう。などと話題になります。感情を抑えられないとも言われますが、何故そのような事をしてしまうのか、本人は分からないのではないでしょうか。反省しているように見えても、何がどうしてどのように悪いのかと深く考えることもなく、再び同じような事を繰り返す。また、知らないということも悪いことなのです。知らないから許される、ということなどありません。自分のこと、他人のことを理解するということは、相手を思いやる気持ちを育て、生きるということは何かを考えることになるのです。
今の世の中、不安定な時代と言われ、暗い話題も多く伝えられます。しかし、世間や他人に責任を転嫁するのでは問題は解決しません。生きていくのは、あくまであなた自身なのですから。自分の中の悪い点を反省し、何故なのかをよく理解し考え、次のステップに進むべきなのです。
急ぐ必要はありません。
 一切我今皆懺悔
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みかい霊園完成
当院の本堂の西(法明)と南側(蓮華)の地に霊園が完成致しました。既に墓石が建立されている場所もあります。
以前は廃屋があり、防災上も景観上からも問題が指摘されていました。総代さんや業者と検討を重ね、やっとの思いで完成に漕ぎ着けた次第です。これからの霊園ということで、成るべく平面に配置しお参りし易くと考え、また駐車場も整備しました。
瓶井の谷で、静かにお祀りされることを御祈念致します。
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天平の甍(いらか)
 七月三日、岡山市民会館にて、前進座の全国公演「天平の甍」が開催されました
井上靖原作で、奈良の唐招提寺を建立された鑑真和上の物語です。度重なる失敗で目を不自由にされながら、苦労して日本に仏教の戒律を伝えた偉大なる高僧と、その実現に生涯を掛けた日本の青年僧に感銘を受けた方も多いのではと思われます。
仏教というものは、いくら数多くの本を読んでも、自分一人で悟ることは出来ません。優れたお師匠さんから教えを授けて頂くのが重要なのです。
決して難しい教えではありません。仏様を信じる心を授かるのですから。 善い人と巡り会える。このことが人生の上でも特別の意味を持つのです。
暗い世の中ですが、清々しい感動を胸にした一日でした。
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平成15年1月1日発行(第10号)

 「般若心経」
 皆さん、お経と言えば「般若心経」が有名ですね。常の勤行や法事での御看経、お参り行ったときにも必ずお唱えします。 二百七十文字程の中に凝縮された素晴らしいお経です。
 「大般若経」という六百巻もある長いお経があります。安住院のお正月の初観音でもお寺さんがみんなで一緒に大きな声をあげてパラパラとお経の本をめくっています。あれは(転読)といって全ての内容を読む変わりに行う法会のやり方で、あの本をめくる風にあたることで、お経全体のの優れた功徳に触れることが出来るのです。
 「大般若経」は、『西遊記』で有名な玄奘(げんじょう)三蔵法師が、中国から大変な苦労をしてインドを訪ね、持ち帰り翻訳したものの一つで重要なのです。その命を懸けた旅の様子が孫悟空達の物語になったのです。 般若とは、もともとは、あの怖いお面のことではありません。仏様の智慧ということで、その智慧をもって悟りを開く教えなのです。智慧といっても、私たちが学校の勉強などで教わるのは、一般に知識であり、智慧とはもっと深い仏様の真実の教えを分かる事なのです。とても難しそうですね。
 もう一度、経題の「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」とは、仏様の教えとしては、大きな仏様の智慧をもって彼岸へ渡るための中心となるお経です、ということです。
彼岸へ渡るとは、私たちのこちらの世界から仏の世界へ行くことで、つまり悟りを開くということなのです。 内容は、「空即是色」などは有名ですが、(空)なんて、とても一言では表現できないことで、一人一人さまざまな理解の仕方があるはずです。
しかし、般若心経は難しいからと投げ出してはいけません。心経は読むこと、或いは写経といって書き写すことだけで功徳があるのです。お経自体、仏様の大切なお言葉なのですから、読むこと書くことによって仏様の心を持つことが可能なのです。
お大師様も、除災招福のため、心経の写経を多いに勧められ、講義を行っておられます。その中で、仏様の教えは遠くにあるものではない、みんなの心の中にあることを強調されています。その仏の心を呼び覚ますためにも、心経を読むことが大切なのです。
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 入唐千二百年
 今からちょうど千二百年前、私たちの真言宗の宗祖弘法大師空海和尚が、全ての面で文明の最先端であった唐(今の中国)に渡られました。
とてつもない苦労の末、当時最も優れていた仏教、すなわち真言密教を得ようされたのです。それから千二百年、今の真言宗はこの時から始まったのです。様々な行事も予定されていますので、皆様も期待して下さい
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県博にて聖観音等を展示
 岡山県立博物館(後楽園)にて特別展を開催
「備前四十八ヶ寺ー近世備前の霊場と報恩大師信仰ー」
平成十五年一月三十一日〜三月二日まで
安住院より左記の什物が出展されます。
・聖観音菩薩立像(県重文)
・本堂棟札(小早川秀秋公)
・禁制札(宇喜多秀家公)
・文明十一年勧進
・増吽僧正書状
一般には、当院でもお見せ出来ないものですので、是非 後楽園まで行ってご覧下さい。
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平成14年8月1日発行(第9号)

  お 盆
 毎年、八月になると「お盆」でご先祖様をお迎えする準備があり、お寺からは「盆経」といって、各家の精霊飾りの前でお勤めして回ります。今でも田舎ではまだ行われている所も有りますが、盆経は本来、棚経と言われ、家の庭先に作られた精霊棚を拝むので、その名があるのです。でも現在町中ではなかなか場所もなく、床の間へでの精霊飾りが一般的です。
 お盆とは、今の東京地方のように七月中ばのことですが、旧暦の方が馴染みやすく月遅れのお盆、つまり八月十三日から十五・六日位を指すのです。しかし、新暦で行うお寺さんもあり、前にも言ったようにお盆を迎える精霊飾りを供養するのですから、八月に入って早いころからお坊さんは忙しく回り始め、お盆までに済ませてしまうのが本来です。そして、お盆までに全てのお家を回りますので、皆さまも御協力よろしくお願い致します。
ところで、お盆とはお経にでてくるのですが、お釈迦さまのお弟子さんの一人が自分の母上が地獄で責められている苦しみから救う為、多くの僧侶にお経を読んでもらう功徳をつむことで、その難から逃れたことが始まりであると言われています。皆さまもご先祖様が苦しまないよう、お盆の功徳を積みましょう。
 そして、その仏教でのお盆と、日本でのご先祖様が訪れるという信仰とが一緒になり、今のお盆行事になったのです。しかし、現在ではお盆といってもお墓のお掃除くらいで、なかなかご先祖さまを迎える準備や、親族が一同に集まることも少なくなっているような気がします。  最近は、家族が一緒にいる時間すら少なくなっているのですから、せめてお正月とお盆くらいは、家族で一緒で語り合う時間をつくるべきではないでしょうか。
ですから、お盆しか長い休みが採れないので一緒に家族旅行へ行くのも良いのかもしれません。家族が仲良く遊んでいる姿をみれば、ご先祖さまも決して家に居ることにこだわらないかも知れません。しかし、お墓と御仏壇をしっかり掃除をして、綺麗なお供え物も済ませ、お寺さんの読経も終わってからにして下さい。
そして、我が家のご先祖はどのような方だったを伝えていくことも、先祖供養の一つではないでしょうか。将来あなた方もみんなその仲間になっていくのですから。
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六月十五日(土)青葉まつり
真言宗岡山市内結衆寺院で構成されている弘法大師降誕会の主催による、本年度の青葉まつり(弘法大師誕生会)が六月十五日、当院にて修行されました。市内の寺院を持ち回りで、六年に一度回ってくるのですが、弘法大師稚児像に甘茶をかけてお祝いする法会の他、多彩な催し物に大勢の参拝の方々で賑わいました。御詠歌の方々も沢山集まって頂けました。
今年の法話は、住職と同世代である大阪・常福寺の松尾光明師にお願いしました。師は大阪では落語家??としても有名なお坊さんで、肩の凝らないお話が聞けました。
余興の腹話術に始まり、豪華景品の当たる福引きもあり、楽しい一時でお大師さまもさぞお慶びのことと存じます。 来年も宜しくお願い致します。
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平成14年1月1日発行(第8号)

ご本尊御開帳
 昨年十一月三日、御本尊千手千眼観世音菩薩の御開帳法会が、盛大に厳修されました。
観音様の変化身に合わせて三十三年に一度が一般的ですが、当院では昭和十一年以来六十六年ぶりということで、待ち望まれていた方も多かったのではないかと思われます。
当日は、晴れの確立が高い文化の日でしたが、皆様の様々な願いを聞き入れて頂けた証でしょう、御本尊の慈悲の雨あるいは、甘露の法雨とでも申しましょうか、雨の御開帳となりました。 当院の観音様は、十一面四十二臂の千手観音ですが、御自身の手を除く四十手が二十五の様々な世界に分けて活躍するので、それを乗じて千手となり、それぞれの手に各々眼をお持ちになり、あらゆる人々の願いを叶え、苦しみから救ってやまない大慈悲心を表現しています。
この素晴らしい観音さまを御本尊として栄える安住院が千二百年余の歴史が有ることは、当然の事ではないでしょうか。これからも、益々皆様のお力になって頂けるよう、御祈念したいものです。これからも、安住院護持のため、皆さまの御協力を宜しくお願い申し上げます。
また、当日の法会は、咒立大曼荼羅供といって、真言宗では特別な場合に行われ、とても厳儀なものなのです。御本尊の両脇に胎蔵界と金剛界の二つの曼荼羅を懸け、本堂内に全ての仏様たちをお招きして、参詣の皆様と一緒に素晴らしい仏の浄土を造りあげるのです。曼荼羅については以前のお便りで紹介しましたが、その仏様を供養 するために、一緒に御真言をお唱えしたのです。静かに手を 合わせ、口で真言を唱え、心で仏様を思うのです。これこそ、真言宗の最も基本と なる祈りなのです。その前に、いろいろな供物を供えたりして道場を荘厳するのが、法会の元々の意義なのです。その為にお経に節を付けたり、鉢を鳴らしたりして、お花を撒いたりして、仏様をお迎えするのです。
このように法会は決してお坊さんだけのものではありません。皆さんと一緒に仏の世界を創り上げるのです。テレビなどでは決して味わうことの出来ない荘厳さの中に自分自身を置くことが出来るのです。
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御本尊お軸完成

 
 今回の御開帳を記念して、千手観音菩薩の新しいお軸を新しく描いて頂きました。仏画師は、中村凉應師といって住職と同年代の方ですが、とても有名なご夫婦で、京都の種智院大学にて仏画を教えておられます。お忙しい中、無理をお願いし描いて頂きました。開帳の記念品として散華をお配りしましたが、その中の観音様も、そのお軸からとっています。素晴らしく、貴重な物で、これからの安住院の什物として、末永く祀られると思います。出来ますれば、御施主となっても構わない方がおられましたら、是非ご一報下されば幸です。
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平成13年8月1日発行(第7号)

南無大師遍照金剛
 皆さん、勤行の時やお寺参りで「南無大師遍照金剛」は必ずお唱えしますね。
それで、お寺さんの宗派は?などとは、聞かないでくださいね。真言宗であり、日本で真言宗を始められたのが、弘法大師・空海和尚であり、一般にお大師さまと言えば、弘法大師を示すほど有名なのです。そのお大師さまを拝む言葉を「ご宝号」と言いますが、それが「南無大師遍照金剛」なのです。
(南無)は帰依尊敬の念を示します。
(大師)は弘法大師で、大師号は朝廷から賜る諡号で、現在まで二十数名の高僧に対して贈られています。
(遍照金剛)は、お大師さまが中国に渡り、恵果和尚から、密教を伝えられた時、授かったお名前で、密教の中心となる仏様の大日如来を示しています。
お大師さまは、香川県の善通寺でお生まれになり、和歌山県の高野山で御入定になるまで、奈良や京都を始め、様々なのお寺に御縁を結ばれています。四国八十八ヶ所の霊場などもその典型です。お寺に限らず、日本各地にお大師さまにまつわる伝説も多く存在し、いかに多くの人々に親しまれていたかを物語っています。 ところで、お大師さまは幼い頃から優秀であり、奈良の都に出て官僚になるべく大学にて勉強に励んでいました。ご両親のみならず親戚一同の期待も大きかったことと思われます。しかし、それらの勉強が本当に将来役に立つ物か疑問を抱かれ、仏教を志し、更に真言密教という新しい仏教を目指されたのです。
確かに、官僚になって、ご両親や家族を養うことで、一族の譽れとなることも重要なことかも知れないが、仏教により日本中いや世界中の人々を幸せにすることが出来れば、そのこともご両親への恩に報いるものではないか。そのように決意され、出家し、中国に渡り、様々な苦労を乗り越え、真言宗を確立されたのです。
現代は、先の見えない時代を言われ、将来に不安を抱えている方も多いのですが、お大師さまを想い、遠くの将来を見据え、何が本当に役に立つのかをもう一度ゆっくり考えてみて下さい。
 南無大師遍照金剛
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11月3日(土)御本尊御開帳

 いよいよこの秋、十一月三日に、安住院御本尊千手観音菩薩、御開帳法会を、厳修致します。お稚児の練り供養など予定しております。
 皆様、御案内はあったかとは存じますが、是非御参詣下さり、御本尊と御縁を結んで下さい。
午前九時 稚児 集合
    錬供養
午前十時 法会開始
     (赤門より錬供)
    曼荼羅供法会
      (本堂)午後〇時 法会終了
大規模な法会ではなく、当院の境内整備に御協力下さった檀信徒の皆様と共に、御本尊を拝むことが出来ればと考えております。
綺麗になった、境内伽藍も合わせてご覧下されば幸です。

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平成13年1月1日発行(第6号)

ご縁をいただいて
 皆さん、昨年一年間でどのくらいの人に会いましたか。その中で、今でも思い出せる人は何人いますか。更にその内、会って良かったなと思える人はいますか。
人間は決して一人では生きてはいけません。様々な人のお世話になっています。直接に何かをしてくださる人、或いは間接的ですが影響を受ける人、いろいろです。しかも意識的にではなく、偶然に出会う場合もあります。
それをよく「何かの縁で」と言うでしょう。
本当に縁とは不思議なものだと思いませんか。
良い人ばかりと会いたいと願っても、そうは行きません。様々な人に会っている中で突然にその時は訪れます。また、それを気付かずに行き過ぎる場合もあります。そして、その縁を大事にするかどうかで、あなたの生活も随分変わるとも思いませんか。
更にこのご縁で最も素晴らしいものは、仏様とのご縁です。でも仏様は直ぐにお金をくれたりはしません。そんな物質的な事では決して満たされない、皆さんの心を豊かにして下さるのです。あなたが毎日充実した生活を送れるのは、仏様と何処かで素晴らしいご縁を結んでいるのです。
今年は西洋風に数えると二十一世紀になったと言われています。キリストさんが生まれて二千年、お釈迦様が生まれてから約二千五百年ちょっと。人間の歴史は約三万年、人類として約百万年、そして地球が出来て約四十六億年、宇宙が出来て・・・
気の遠くなる長さですが、その時間の中で皆さんがこの世で生きているのは長くても約百年です。そして現在地球上には六十億以上の人がいます。その地球の大きさはご存知でしょう。
ですから、ある人と巡り会い一緒に語り合うことなど、本当にご縁が無ければ出来ない事なのです。そのご縁も仏様に導かれたこと、仏様とご縁があってのことかも知れません。
そうです、あなたのすぐ身近の家族のことを考えてみて下さい。一緒に生活するなんてことは大変な縁があったからなのです。ですから、その家族との語らいをもっと大切にすべきではないでしょうか。そしてその出逢いを感謝の気持ちを持って生きることが重要なのです。
せっかく、仏様からいただいたご縁なのですから。
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御本尊御開帳

   皆様、お寺の御本尊はご存知でしょうね。千手観音菩薩です。常は、本堂宮殿の中で静かに私たちをお守り下さっています。そのご本尊をご覧頂く御開帳の法会をいよいよこの秋、十一月三日に厳修致します。六十六年ぶりのことで、前回をご存知の方は皆無と存じますが、華やかなものであったと新聞で報道されました。今回もお稚児の練り供養など予定しております。
正式に御案内致しますので、是非皆様お誘い会わせの上ご参拝下さい。
また、今回の御開帳記念事業のご寄付も数多くの皆様より温かいお志をお申し出下さり、深謝申し上げます。

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平成12年8月1日発行(第5号)

マンダラ(曼荼羅)<2>

  皆さん、マンダラ(曼荼羅)についてもう少し考えて見たいと思います。
マンダラとは「本質を持つもの」ということで、本質とはさとりを意味します。そして、胎蔵界ともう一つ、金剛界のマンダラがあり、九つの部分が一緒になって出来ています。各部の中心は、大日如来又は関連の深いもので、同じ仏様が何度も出ていますし、仏様そのものではなく、持ち物なども表されています。
胎蔵界が空間的要素であるのに対して、金剛界は時間的な考えで出来ています。それは、ドラマ仕立てになっているのです。
例えば、会社勤めのお父さんでも、背広を着て会社で仕事をしている姿だけが、お父さんではありません。家に戻り、家族と食事をしたり、一人でゆっくりお風呂に入ったりします。ある時は子供を叱る怖いお父さんかもしれませんし、ある時は、家族とどこかへ旅行し、子供と遊ぶ優しいお父さんかも知れません。どれが本当のお父さんでしょうか。どれもがお父さんの姿であり、全部まとめてお父さんなのです。
このように、万能の仏様でもいろいろな面を持っておられ、それを象徴的に九つに分けて示したのが、金剛界マンダラなのです。
ですから、会社人間はいけないのです。
一昔前モーレツ社員などと、もてはやされ、気がついたら窓際に追いやられ、家に帰っても自分の居場所さえない。そんなお父さんはいませんか。最近は余暇を楽しむ風潮も増えてきましたが、それでもお父さんは会社ばかり、子供は学校から帰っては塾へ行き、受験のための勉強ばかり、お母さんは家事と子供の教育のことばかり、そんな家庭が多いのではないでしょうか。あることに熱中することは大事ですが、様々なことが出来るから、人間なのではないでしょうか。しかも、今皆さんが一生懸命にやっていることは、結局お金のためだけではないでしょうか。本当に家族みんなのことを考えていますか。一つのことだけやるのでしたら、それは人間ではなくロボットで良いのです。
そして、一生懸命働いてきた結果、地球環境を破壊し、社会においても、おぞましい事件を数々起こしているような気がしてなりません。
皆さんが優しい心、豊かな心が持てるような生活を、是非考えてみて下さい。

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聖観音像が県重文に

   本年三月、岡山県教育委員会により、当院の聖観音菩薩立像が、岡山県指定重要文化財に指定されました。
この観音さまは、八世紀末のもので、鉈彫りという手法で造られた、貴重なものです。
これで、安住院の建物・什物で、文化財に指定されたものは、六点になりました。

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平成12年1月1日発行(第4号)

マンダラ(曼荼羅)<1>

  皆さん、マンダラ(曼荼羅)を見たことがありますか。
密教特に真言宗では、マンダラというと、仏様がいっぱい描かれた図を示し、胎蔵界・金剛界の二種類があります。マンダラという言葉の語源は、インドの古い言葉で「本質を持つもの」ということで、本質とはさとりを意味しますが、とにかく仏様が寄り集まり整然と並んだものがマンダラなのです。
胎蔵界のマンダラですが、大日如来を中心として、回りに如来・菩薩・明王などの仏様が整然と並んでおられます。同じ仏様はおられません。仏様だけではなく、いろいろな天の神さまなども描かれています。即ちこれは、大日如来を中心とした理想的な仏の世界を現しているのです。
このマンダラは、オーケストラに例えられ、様々な人が、曲のためにそれぞれのパートを受け持ち、それらが結合することにより見事な調和を保ち、素晴らしい響きを奏でられるのです。どのパートが欠けても出来上がりません。指揮者を中心に、全ての人が自分の持ち場を十分に果たす。それが、重要な事なのです。このことは、現代の私達の社会生活に置き換えても、同じ事が言えるのです。
この社会は全てマンダラなのです。
国も、会社も、学校もそして皆様の家族もマンダラとして成り立っているのです。そして、それらの家族・社会が素晴らしいマンダラを作らないと、社会そのものが壊れてしますのです。
今は、家族がバラバラなのではないでしょうか。物質的に豊かになり、家族みんなが別々の部屋で、自分の好きなテレビを見たり、音楽を聴いたり、ゲームをしたり、それでは、家族も他人も同じではないでしょうか。家族という最小の社会をうまく構成出来ない人間が、地域社会や一つの国でうまくやっていけるはずがありません。
現代の社会は歪んでいるとよく言われますが、その一つの原因は、そのようなところにあるのではないでしょうか。考えの違いを乗り越え、いかにみんなでうまくやっていくか。けんかもあるでしょう。それが、許しあえて、調和を保つことが出来るのはまず家族なのです。
中心の大日如来はお父さんでもお母さんでも構いません。大切なことは何かを、語り合うことから始めてみましょう。

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阿弥陀如来像修復

  安住院の鎮守は正八幡宮で、その鎮守堂は本堂の東奥の石段の先にあり、平成八年に修復致しました。
しかし、その八幡さまの本地である本尊阿弥陀如来像は、お顔も無惨に壊され、胴体のみが残り、お祀りにはとても絶えられない状態でした。お住まいは立派にしても、主がいない空き家では仕方有りません。しかし、新品を購入するわけにもまいりません。
金額には代え難い価値を失うため、京都の仏師による修復を決意しました。
その如来像が、昨年八月末に無事お帰りなりました。初観音が終わりましたら、鎮守堂に納めさせて頂きます。
そのお姿は、金箔仕上げで光り輝き、とても修復とは思えませんが、何処かに威厳と重厚さを残しておられます。

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平成11年8月1日発行(第3号)

回向(めぐりむかう)
 皆さま、法事の時、御看経(おかんき)をお唱えしますが、その最後に回向の文があります。住職の説明を聞かれた方は、覚えておられるかも知れません。
「願わくはこの功徳をもって あまねく一切に及ぼし 我らと衆生と皆ともに 仏道を成ぜん」
この功徳というのは、ご法事を営んだり仏さまの供養をする功徳ですが、今は御看経を読むという功徳です。あなたが行った功徳が、全てのものに及んで、功徳を行ったあなただけでなく、この世の全てのもの、衆生というのは生きてるもの全てですが、人間だけではありません。動物や虫を始め草や木など、あなたの周りのすべてのものが生きているのです。それらが全て一緒に仏の道を歩めるように、と願うのです。
回向とは、自分の行った功徳が巡り巡って、亡くなったご先祖様に向かうだけだなく、仏さまに向かうだけでもなく、衆生全てすなわち生きているもの全てに向かうことなのです。
 少し前のことですが、自分を仏だの神だのと称する者の宗教のような集団が、自分達が仏に成るためには、他人はどうなってもよいとの考えなのか、多くの人を殺害した事件がありました。
日本に広まった仏教は、決して自分だけが仏になるという教えではありません。
みんな仲良く一緒に仏の道を歩むのです。
この世の中、あなた一人だけでは生きてはいけません。他の人の手助けが必ず必要です。また、食料という形で動物や植物の命をもらって、初めて生きて暮らせるのです。
ですから、食事の前に手を合わせ、「いただきます」と言うのです。神さまや仏さまにお祈りしているのではありません。これから食べる様々な物に対して、その生命を頂くのですから、「頂きます」なのです。そう思うと決して食べ物を粗末になどできないはずです。
仏さまの教えがお経なのですが、そのお経には決して難しいことが書かれている訳ではありません。みんなが、仏さまの下で仲良く暮らせるように願う心が大切なのです。そのためにどうするかが、仏さまの教えなのです。
めぐりめぐって、あなたの善い行いが、様々なものに向かうよう、その思いをもって今日一日を始めて下さい。

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禅光寺安住院とは

 皆様の菩提寺である当院の正式名称は、「禅光寺安住院」と言います。
江戸時代までの瓶井の谷には禅光寺というお寺として、本坊の安住院の下、十数ヶ寺の塔頭寺院がありました。お寺を中心に瓶井門前村として栄え、「瓶井寺」とも呼ばれていました。しかし、明治維新の寺領没収・廃仏毀釈の影響で、規模が小さくなり、現在は安住院と普門院のみが残っているわけです。
お寺を創建された報恩大師が平井の浜で海上に怪しく光る霊木をみつけられ、それを彫刻して御本尊の千手観音を造られたのです。その時、その素晴らしい御本尊を前にして、
「光明を修禅し無明を滅し浄菩提心を安住す」(修禅光明滅無明安住浄菩提心)
と、言われたのが寺名の由来です。
決して長野の善光寺と一緒にしては困ります。あちらの善光寺は、人のお名前ですから。
また、禅宗のお寺でもありません。日本で禅宗が盛んになったのは鎌倉時代であり、報恩大師が活躍されたのは、天平勝宝年間(奈良時代末)ですから、当寺の方が先です。
禅という文字は、心を静かにし無我の境地に達する、という意味です。
即ち、御本尊千手観音さまの有り難いお力で、心を穏やかにして、迷いを除き、悟りの境地に安らかに住することが出来るよう、との願いで建てられたお寺なのです。
皆さま是非そのような気持ちで、本堂にて合掌して下さるよう願っております。

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平成11年1月1日発行(第2号)

観音さま

 みなさん、当安住院の御本尊さまは何か、ご存知ですね。そう、千手観音さまです。
「知らなかった」と言われる方、是非とも 初観音にお参り下さい。
観音菩薩は、阿弥陀如来・釈迦如来・薬師如来・地蔵菩薩などと共に、ポピュラーな仏さまのひとつです。
「あの人は観音様のようだ」と言われれば、温かくて優しいイメージになるのではないでしょうか。
観音さまは、正式名称で観世音菩薩、或いは観自在菩薩と呼ばれています。世の中の全てのものを自由に観ることが出来、救いを差し伸べて下さるのです。「観」という文字もただぼーっと見るのではなく、真剣に観察するという意味です。その象徴が千手観音さまとして、千本もの手で様々な人の悩み苦しみを救って下さるのです。そして他にもいろいろな観音さまがいらっしゃいます。とにかくどのような悩みでも観音さまにお願いすれば叶えて下さる訳です。しかし、今の世の中、余りにも多くの不平不満が渦巻いていて、観音さまの千本の手でもとても間に合わないかもしれませんね。本当に観音さまも大変なのです。
しかし、いくら悩み事があるからといっても、ただ観音さまにお願いするだけで、本当に大丈夫なのでしょうか。
このような経験はありませんか。
悩んでいるとき、誰かの一言から解決の糸口が見つかったり、他人の何気ない振る舞いがとても助けになって頑張ることが出来たりします。
そうです。その人達が全て観音様なのです。老若男女は問いません。あるいは、道辺の名もない草花に清々しさを覚えたこともあるでしょう。観音さまはどのような形にも変身することが出来るのです。
あなたが気付かないだけで周りには観音様はいっぱいおられるのです。
「観音経」というお経には『念彼観音力』が繰り返し出てきます。観音様の力を信じ念ずれば良いのですが、観音様はちゃんと観ていますよ。それが本当の願いなのかを。
ですから、観音様に頼るだけでなく、あなたも、観音様になってみてはいかがでしょうか。決して難しいことではありません。
周りの人達にあなたの出来ることから、少しづつでよいのです、観音様の気持ちを持って。その時、あなたは、きっと観音様のように、穏やかで優しい顔になっていることでしょう。

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平安初期の聖観音発見

   昨年6月17日付けの山陽新聞の第一面に大きく報道されましたので、御存知の方も多いかと思いますが、本堂内の脇の厨子に安置されていた聖観音立像が、平安初期の作であり、岡山県内最古級の木彫仏であることが判明致しました。
今まで、厨子を開けたこともなく調査も十分されてなかったため分かりませんでしたが、今回専門の先生方が調査され、様式も古く鉈(なた)彫り像であり、重要文化財クラスの発見であると絶賛されています。報恩大師の開創当時から、ずっと静かに安住院を見守っていて下さった観音さまなのです。初観音には是非ご参詣の上、お姿を一度ご覧下さい。

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平成10年8月1日発行(第1号)

仏さまになるには

 みなさん、仏さまになるにはどうすればよいとお思いですか。
「めっそうもない。まだ死にたくはない」と考えておられる方、死んであの世に行ったホトケではありません。
 お釈迦様やお薬師様などの仏様のことです。本当は、「○○○如来」と言われているのが仏様ですが、一般的には、観音さまやお地蔵さまなどの菩薩と呼ばれる方や、お不動さまなどの明王と名のる方も、仏さまとして考えても構いません。つまり、お寺や各家庭の仏壇などで祀られている仏さまのことです。 では、その仏さまにはなれるのでしょうか。
「仏さまは別世界の方だ」
「仏になるには、世間を離れ、超人的な厳しい修行をしなければ無理なのだ」
その通りです。そんなに簡単に仏さまになれるなら世界中仏さまだらけのはずです。
しかし、仏さまの真似をすることはできます。困っている人を見て、何かしてあげたいと思う心、それは誰でも持っているのです。一寸したことでも、他人に優しくされたときの喜びを思い出して下さい。では、どのように生 活すればよいのかというと、仏さまのように行動すればよいのです。
考えて見て下さい。テレビで銀行強盗の泥 棒の様子が映っていて、その真似をして、 あなたが実際に銀行に強盗に入れば、犯人として捕まります。当たり前のことですが、「あのテレビでやっていたから」なんて理由は通りません。立派な泥棒になってしまいます。
ですから、仏さまの真似をして生きて行けば、それは、仏さまになるということに等しいのです。その仏さまとは、どのようなお方なのかを理解するために、仏教という宗教があり、そして仏さまの教えであるお経がたくさんあるです。仏さまはたくさんいらっしゃいます。
そして、皆さん一人一人必ず仏になれる要素をもっているです。
お大師様も、「般若心経秘鍵」という書物の中で『仏法は遙かに非ず、心中にして即ち近し』とおっしゃっています。
皆様ぜひ、仏さまの真似をすることを考えてみて下さい。

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瓶井山とは?

 安住院の山号の瓶井山は、(みかい)と読みます。瓶(みか)というのは、水ガメのことですから、水を蓄えた泉(小さな池)です。
現在の操山で、安住院の谷間の上方の山を、瓶井山と呼んでいました。今も有りますが、龍神を祀った龍王堂があり、そこにある泉は真夏でも枯れることがなく、干ばつの時、その泉で安住院の宝物である《龍の舌》を洗うと必ず雨が降ったという言い伝えがあります。
この龍のお話も有名で、日照りが続くと山に住んでいた龍にお願いしていたのですが、龍がここを離れなければならなくなり、お寺に自分の舌を置いて、それにお願いするように言い残したことに由来します。昔から生活特に農業では水というもは一番大切な物で、しかもそれは天からの恵みであった訳です。そのため、水の湧き出る所を大切にしたのは、当然でしょう。
環境問題が騒がれている現在ですが、身近なところから、もう一度考えてみる必要があります。
ところで、今の操(みさお)山の名ですが、当然、瓶井山から由来しています。昔の地図には瓶井を三櫂とも書いていました。その後、どういう訳か三棹とも書くようになり、棹は(さお)ですから、そこから、操という漢字になったものと思われます。
操山はハイキングコースとしても整備されています。皆様にも是非のんびりと、自然と文化に浸りながら山歩きをすることをお勧めします。

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